浅草キッド
ツービートのたけしさんが唄う<浅草キッド>という曲、しみじみとして佳いですよね。
しかし、この曲の歌詞冒頭で、
♪お前と会った仲見世の 煮込みしかない鯨屋で
という部分がありますが、これを手掛かりに捕鯨舩を目指し、仲見世を行ったり来たりした人もいらっしゃるのではないでしょうか?
浅草公園地は、1884(明治17)年1月から一区から六区に分けられ、同年9月にはさらに浅草馬道町一~三、五丁目の各一部を併合して七区が追加されました(七区は後に除外)。一区は浅草寺本堂周囲、浅草神社、二天門、仁王門(宝蔵門)、五重塔、淡島堂等。二区は仲見世の地。三区は浅草寺本坊伝法院の敷地。四区は公園中の林泉地、大池、ひょうたん池の辺り。五区は俗に「奥山」と呼ばれた所で公園の北部。六区は見世物の中心地、ひょうたん池を除く現在の浅草六区ブロードウェイ。七区は公園の東南部。しかし、1934(昭和9)年、帝都復興計画の一環でその区割りは消滅しました。
つまり、仲見世があるところは二区です。そして「鯨屋」のモチーフになった捕鯨舩という呑み屋さんは六区にあります。六区だけは語呂がいいためか、いまだに俗称として残っています。
仲見世の西側北端の叶屋さんから捕鯨舩までは歩いて2分、240メートルと近いですが、捕鯨舩のあるところは仲見世ではありません。
つまり、これは“歌詞”ですのでお間違えなきよう。「仲見世」と入れた方が浅草を連想しやすいという理由からでしょうか、単に語呂からでしょうか?。まさかフランス座出身のたけしさんが「六区=仲見世」と思っているわけないでしょうからね。さらに「仲見世の鯨屋」のモデルは実は「捕鯨舩」ではなく、フランス座の近くにあった「一六酒場」とのことであり、「煮込みしかない」の「煮込み」は牛もつ煮込みのことであり、それは捕鯨舩でのエピソードとのこと。また、捕鯨舩の大将は一六酒場で働いていたこともある一六酒場経営者夫婦の娘さんの夫(義理の息子)でもある。歌詞にはこういうことが多いです。歌詞はその曲を成立させるための言葉ですから、虚実入り混じってもいいのです。
「死んでもやめんじゃねーぞ」
…これはきよしさんの弟子・ビトタケシさんの言葉だった…。
0コメント