【京橋①007】畳町

町番号:京橋①007

町名:畳町

読み方:たたみちょう Tatamichō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1931(昭和6)年

冠称:なし

現町名:中央区京橋二・三丁目

概要:古くは八重洲河岸(城辺河岸)付近にあったが、のち現行の京橋二・三丁目付近に移ったと思われる(事蹟合考)。町名は畳職人が居住し、畳刺賃銀の国役を差し出した町であったことによる。南側の北紺屋町との間の道を「古着新道」、町北の横丁を「稲荷新道」といった(備考)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数113・人口529(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府京橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市京橋区に所属。

1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、京橋二・三丁目に編入となり消滅。現行の京橋二・三丁目のうち。中央通りの西側。

撮影場所:畳町

撮影地:中央区京橋三丁目1番1号(東京スクエアガーデン LES ROSIERS BISTROT DE L'OIE)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。