【京橋①060】南小田原町

町番号:京橋①060

町名:南小田原町 一~四丁目

読み方:みなみおだわらちょう Minami-Odawarachō

区分:町丁

起立:寛文年間(1661~1672年)か

廃止:1932(昭和7)年

冠称:なし

現町名:中央区築地六・七丁目

概要:江戸期には現在の築地六丁目の一部に一・二丁目があった。町名ははじめ石材の荷揚場であった日本橋北の本小田原町が当地に移り命名されたものであり、寛文年間(1661~1672年)に小田原の魚商が開いたからともいわれる。一丁目には「槇河岸」、「稲荷前」、「肴店」、二丁目には「御蔵前」、「新道」の里俗名があった(備考)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。同年、武家地を収公して三丁目を、1872(明治5)年に四丁目を起立。1872(明治5)年の戸数363・人口1,393(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府京橋区に所属。三・四丁目はその一部が外国人居留地になったこともある。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市京橋区に所属。

1932(昭和7)年、帝都復興計画の一環により、一丁目は二丁目の一部と合併して小田原町三丁目に、二丁目は南飯田町の一部と上柳原町南本郷町と合併して小田原町二・三丁目に、三丁目は四丁目の一部と南飯田町の一部と合併して小田原町一丁目に編入となり消滅。現行の築地六・七丁目のうち。

なお、小田原町一~三丁目は、1966(昭和41)年7月1日、住居表示の実施により、築地六・七丁目に編入となり消滅。

撮影場所:南小田原町一丁目

撮影地:中央区築地六丁目20番10号(勝鬨橋西詰公衆便所前)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。