【麻布①035】麻布西町
町番号:麻布①035
町名:麻布西町
読み方:あざぶにしまち Azabu-Nishimachi
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:1966(昭和41)年6月30日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「麻布」
現町名:港区元麻布一丁目3番22~34号、3番2・3、26~29号の辺り、二丁目11~14番
概要:麻布山善福寺の門前町である。山を中心に、東側に麻布善福寺門前東町、西側に麻布善福寺門前西町と対称的に位置した。小間120間。江戸以前より門前町として存在していたが、1709(宝永6)年に願い出て、1710(宝永7)年4月14日に門前町屋が許され、1745(延享2)年12月から町奉行の支配となり、麻布善福寺門前西町と称した。宮村新道の東側(現在元麻布ヒルズが建っている側)が町屋となり、通りの西側は幕初以来成羽藩山崎氏邸であった。1828(文政11)年の総家数は78軒、うち家持16(うち4軒他住居)・店借62(町方書上)。
前身の麻布善福寺門前西町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、「麻布西町」と改称。1872(明治5)年、西側の武家地を合併。同年の戸数68・人口244(府志料)。旧来門前町屋であったが、明治期に入ると閑静な高級住宅地へと変貌を遂げ、商店は一軒も見当たらなかった。町の様子はその後も概ね同様の状態が続いた。
1878(明治11)年11月2日、東京府麻布区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。元スウェーデン大使館があった辺り(22番地、現在のアルゼンチン大使館かパキスタン大使館辺りか)に1600(慶長5)年に首を埋めたという「首塚」があり、戦前までその場所には家が建たなかったという。また、同館内には「おばけ椿」が生えていたという。幹回りが1.3メートル、樹高が8メートルあり、数株の幹が絡まりあっているように生えており、古来朝晩で花の色が異なるため、「おばけ椿」と呼ばれ、麻布七不思議の一つに数えられた。
1908(明治41)年の世帯数87・人口369。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。町域は戦前も戦後も変わらず住宅街。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。1960(昭和35)年の「おばけ椿」は『港区史』によると戦災で失われたとあるが、1941(昭和16)年発行の『麻布區史』では当時「既に枯れてしまい、残骸を残すのみ」と書かれている。
1966(昭和41)年7月1日、住居表示の実施により、元麻布一丁目3・4番の各一部、二丁目11~14番に編入となり消滅。
撮影場所:麻布西町
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