【浅草①003】浅草下平右衛門町

町番号:浅草①003

町名:浅草下平右衛門町

読み方:あさくさしもへいえもんちょう Asakusa-Shimo-Heiemonchō

区分:俗称→町丁

起立:江戸期

廃止:1934(昭和9)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「浅草」

現町名:台東区浅草橋一丁目、柳橋一丁目

概要:古くは豊島郡峡田領鳥越村のうち。前身の浅草平右衛門町の草創者は遠州浜松の人で「平右衛門」という。平右衛門は1590(天正18)年の家康江戸入府に従って江戸へ入り、当地に住んだ。1616(元和2)年、家康の浅草寺参詣に随行の際、この地に町屋を開くことを命じられ、直ちに開発に着手した。町名は平右衛門が開いた町屋ということで付けられた。また異説もあり、「元和二年土人三枝平右衛門ナルモノ初メテ商家ヲ開ク因テ町名トス」(府志料)とも「元和二年遠江の人村田平右衛門守勝始めて市廛を開く、因って町名とす」(案内)とも記録されている。

嘉永の切絵図では浅草橋の西方に4ヶ所(通称・上平右衛門町)、柳橋の北側に4ヶ所(通称・下平右衛門町)がある。これは1718(享保3)年の上野からの失火で下平右衛門町が類焼した際に上・下ともに収公されたが、1785(天明5)年、町人一同願い出て地所割渡しが行われたためである。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、正式に上下に分離。成立時の戸数142・人口737(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。

1934(昭和9)年、帝都復興計画の一環により、浅草橋一丁目、柳橋一丁目に編入となり消滅。

撮影場所:浅草下平右衛門町

撮影地:台東区柳橋一丁目2番1号(佃煮柳橋小松屋 神田川柳橋北詰西側)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。