【浅草①017】浅草御蔵前片町

町番号:浅草①017

町名:浅草御蔵前片町

読み方:あさくさおくらまえかたまち Asakusa-Okuramae-Katamachi

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1934(昭和9)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「浅草」

現町名:台東区蔵前一・二丁目、柳橋二丁目

概要:成立年代は不詳であるが、寛文江戸図には「片丁」とあるので江戸初期の成立であろう。「米廩の前に在りて片側町なるより御蔵前片町と称せり」(案内)。米廩とは俗に「浅草御蔵」といった幕府の米蔵である。幕府直参の切米の取扱いを請負わせた札差の居住する商人町であった。享保年間(1716~1735年)の人口109人。

奥医師・栗本瑞軒、御鞘師・長浜仙之助等の拝領屋敷があり、頒暦御用屋敷に通ずる御門前橋が架かっていた(備考)。また、足袋のさる屋、御休息所の鶴伊勢屋、蒲焼の尾張屋等があった(買物独案内・酒飯手引草)。大口屋暁雨、大和屋文魚も当町の住人で、俳人の夏目成美は井筒屋の主人であった。1718(享保3)年に一部が収公されて浅草茅町の東隣に代地を給され、1868(慶應4・明治元)年に浅草新片町となった。1828(文政11)年の家数22軒、浅草御蔵前片町代地の家数78軒(町方書上)。「蔵前風」という流行風俗を生み出すほどの勢いであったが、寛政と天保の両改革の徳政で大打撃を受け、徳川幕府の倒壊とともに衰退した。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数105・人口447(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。

1934(昭和9)年、帝都復興計画の一環により、蔵前一・二丁目、柳橋二丁目に編入となり消滅。

撮影場所:浅草御蔵前片町

撮影地:台東区蔵前一丁目8番3号(東邦ビル はんこ屋さん21蔵前店)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。