【荏原】天王横町

町名:天王横町 一・二丁目

読み方:てんのうよこちょう Tennō-Yokochō

区分:俗称

起立:江戸期

廃止:不明

冠称:なし

現町名:品川区南品川一丁目

概要:荏原郡品川領のうち。正式名称は「南品川貴布禰門前」(江戸期~1872(明治5)年)。町名は南品川の鎮守貴船神社(現・荏原神社)の門前に造られた町屋という意味。1746(延享3)年、「町奉行能勢肥後守様、馬場讃岐守様御勤役中町方御支配ニ相成申候」(備考)とあり、町奉行支配となる。化政期(1804~1830年)の家数11軒(町方書上)。

※貴船神社の門前を通る道を俚俗で「天王横町」と唱したとのこと。古地図によってははっきり「天王横町」若しくは「天王横丁」とあり、また「一丁目」、「二丁目」の別まで書き込まれているものもあるので俗称町名として採用。位置は現在でいう目黒川の鎮守橋南詰から常行寺まで並走する旧東海道の一本西の道の東側。蛇行していた目黒川の流路変更工事により、参道が鎮守橋になったとされる。

なお、「天王横町」と呼ばれた理由は、貴船神社の祭神を俗に「牛頭天王」としているため。そのため、貴船神社は「南の天王」とも呼ばれた。なお、荏原神社の祭礼(6月6日)には、神輿を海上に出して揉み合う「海上渡御」という行事があり、近年では「かっぱ祭り」の名で親しまれている。

南品川貴布禰門前は、慶応4年(明治元年)6月19日(1868年8月7日)又は慶応4年(明治元年)6月29日(1868年8月17日)、武蔵知県事管轄地に所属。明治2年1月13日(1869年2月23日)又は明治2年2月9日(1869年3月21日)、品川県荏原郡に所属。明治4年11月14日(1871年12月25日)又は明治4年12月5日(1872年1月14日)、東京府荏原郡に所属。

1872(明治5)年、南品川宿に編入となり消滅(府志料)。『東京府下品川町全圖』では大字南品川宿後地のうちとなっている。


以下、荏原神社の詳細について触れておく。

709(和銅2)年、大和国の丹生川上神社から高龗神(たかおかみ)を勧請して創建されたことに始まるという古社で、現在は高龗神、豊受姫之命、天照皇大神、須佐男之神、手力雄之神等を祀っている。嘗ては品川総鎮守であったが、現在は天王洲、東品川、南品川辺りを氏子域とし、北品川の品川神社と分担している。

撮影場所:天王横町一丁目

撮影地:品川区南品川一丁目3番16号(エム・イー・エス)

南品川宿 後地町


東海道から貴船神社(荏原神社)鳥居までの横町を「天王横町」といった。神社の鳥居が旧東海道に向かっているのは目黒川の流域変更によって、もとの参道がなくなってしまったからという理由。

 撮影地:品川区南品川一丁目3番3号(旧交番跡)

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。