【日本橋②】下柳原同朋町

町名:下柳原同朋町

読み方:しもやなぎわらどうぼうちょう Shimo-Yanagiwa-Dōbōchō

区分:町丁

起立:元禄年間(1688~1704年)

廃止:1872(明治5)年

冠称:なし

後身:元柳町

現町名:中央区東日本橋二丁目27番

概要:安政6年板の切絵図によると、浅草御門と柳橋の間の神田川沿いにある。元禄年間(1688~1704年)、幕府の同朋衆が受領して町並地となり、「下柳原同朋町」と称された(元禄江戸図)。「下柳原」の称は享保年間(1716~1735年)に筋違橋から浅草橋までの神田川沿いの土手に柳が植えられ、その下流に位置したことに因む(画報・府志料)。「表町」、「裏町(浦町)」の俗称もあり、「日影同朋町」と称された所には船宿が多数あった(惣鹿子・砂子)。1632(寛永9)年の寛永図では「町や」、1670(寛文10)年の寛文図では「坊主衆」、1679(延宝7)年の延宝図では「童坊町」、1690(元禄3)年の元禄図では「同朋町」。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、隣接の下柳原同朋町新地と合併し、元柳町に編入となり消滅。現行の東日本橋二丁目27番のうち。

撮影場所:下柳原同朋町

撮影地:中央区東日本橋二丁目27番4号(靴下会館)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。