【赤坂②】青山御掃除町
町名:青山御掃除町
読み方:あおやまおそうじまち Aoyama-Osōjimachi
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1868(慶応4)年
冠称:「青山」
後身:青山掃除町
現町名:港区赤坂七丁目5・6番
概要:青山大膳亮邸の上地のうちを三河以来徳川家康に従った御掃除の者30人へ大縄地として与えられたと伝える。青山邸の地続きのため「青山」を冠称した。1696(元禄9)年、武家地と町屋の改めがあり、町並拝領町屋敷となった。1828(文政11)年の総家数116軒、うち家主19・地借16・店借59・空家22(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。その際、町名から「御」の文字を除き、「青山掃除町」と改称し消滅。
後身の青山掃除町は、1869(明治2)年、前記の2町屋を合併して「赤坂掃除町」と改称。このとき、赤坂専修寺門前をも合併したとする説(府志料)もあるが、分合の記録がないため不詳。現行の赤坂七丁目5・6番の境界両側にあたる。
撮影場所:青山御掃除町
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