【小石川②】小石川富坂新町
町名:小石川富坂新町
読み方:こいしかわとみさかしんまち Koishikawa-Tomisaka-Shimmachi
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1869(明治2)年
冠称:「小石川」
後身:小石川金富町
現町名:文京区春日二丁目
概要:富坂にあった餌差衆の拝領町屋敷の一部が1708(宝永5)年に召し上げられ、水戸邸に含まれたため、替地を与えられた。町名は富坂から移転したことによる(備考)。元禄(1688~1704年)~宝永年間(1704~1711年)頃に烏小屋2棟が置かれていたために、西側の金剛寺門前へ架かる石橋は「烏橋」と呼ばれていた。烏小屋とは生類憐みの令で増えた江戸市中の烏を八丈島・三宅島へ放つまで飼育した小屋のこと。鳶や烏を預かった責任者は「御烏医」と呼ばれた。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、小石川金富町に編入となり消滅。
撮影場所:小石川富坂新町
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