現在地未特定一覧 神田


◉比丘尼横丁(豊島町にあったという)…『江戸地名俚俗字引』では「神田、高山町。」と説明があるが、比丘尼町は豊島町内ではないのか。たしかに富山町とは近いが…。しかし「高山町」とは何か?「富山町」の間違いか。

◉桂横丁(豊島町にあったという)…『江戸地名俚俗字引』の「加津良横町」と同一箇所と思われる。

◉元岩井町の広小路(金物通りの辺りか)

◉神田佐久間町四丁目横丁…残地、元地、裏地は判るが、横丁は不明。『角川日本地名大辞典』では、神田佐久間町四丁目横丁の東に天文台があったというが、他の文献では二丁目だ、三丁目だ、敷地の真ん中に総武線が走っているなど諸説ありで特定できない。ただし、『新板江戸安見絵図』(1797(寛政9)年)には神田佐久間町三丁目の南に「天文方」とある。しかし、佐久間天文台は、1744(延享元)年設置、1757(宝暦7)年)に解体のはずなので『新板江戸安見絵図』にそう書いてあること自体おかしい。

◉松本町(『角川日本地名大辞典』の本所吉田町の項にある)

◉「おばけ横町」、「怪物横町」…神田祭チャンネルには、「神保町一丁目町会は、靖国通りの南側にあり、町の東西に古書店街で有名な「神田すずらん通り」が走っています。この通りの名前は街路灯がスズラン式に変わったことから名付けられました。街路灯が変わった理由は、明治20年頃、この辺りの道は「おばけ横町」や「怪物横町」と呼ばれたくらいに、人通りのない恐い道であり、暗く恐い道を少しでも明るくしようとしたものであったと言われています。現在ではそのスズラン灯も無くなってしまいましたが、その名前だけは今も変わらずに残り、広く愛されています。」とある。

◉湯島横丁…湯島横町となる前、「丁」の字を用いていたとのこと。(千代田区町名由来板)

以下『江戸地名俚俗字引』による

◉按摩横町…外神田、佐久間町二丁目の内、灸点横町とも云。←お灸横町として既に掲載しているが追加する。

◉灸点横町…外神田佐久間町二丁目、あんま横町とも云。←同上。

◉石川横町…神田旅籠町広小路北、外神田。←要調査

◉馬ノ鞍横町…神田鍋町通新石(しんこく)町の間、東入る。今、神田駅前大通り、東松下町。 ←場所確認。東松下町ではないと思うが??

◉裏町…神田美土代町。 ←三河町三丁目裏町と三河町四丁目裏町の総称としていいのか?

◉小川町…神田、一丁目二丁目あり。雉子橋通小川町と云。西小川町、納戸町と云処あり。←納戸町を調査

◉加津良横町…神田豊島町二丁目の内、美倉橋際。←「桂横丁」と同一箇所と思われる。

◉神田仝… [元黒門町] 神田鍛冶町うしろ、今はない。←元黒門町は上野だろう?神田黒門町のことを言っていると思われる。

◉雪踏町(せったちょう)… 神田、錦町、筋違門(すじかいもん)内。←神田多町の「雪駄町」とは別か?錦町とは離れているが…。

◉納戸町… 神田、西小川町一丁目。←要調査

◉根来屋新道… 神田、松下町、鎌倉河岸。←「猫屋新道」だと思うが、他にこう表記するのは初めて見た。併記するか?また、「松下町」の説明では、「神田、鎌倉河岸、根木屋新道あり」とある。昔の漢字表記は適当だったとはいえ…。

◉鼠横町… 外神田末広町、御成道。 ←調査

◉花岡町… 外神田、石町(こくちょう)となり。今、秋葉原駅となる。←「石町」となったのか?それとも「石町」の隣ということか?花岡町は石町の真隣というわけではないし…。

◉東神保町… 仝[神田小川町先、表神保小路とも云う処あり]。 ←調査

◉毘沙門横町… 神田、富山町、お玉ヶ池。←調査

◉松下町一ノ代地… 同[神田、鎌倉河岸、根木屋新道あり、松下町]和泉橋の内。←ねこやではないの??

◉宮様河岸… 神田、花房町(はなぶさちょう)。 ←調査

◉明神門前西町… 神田明神、宮本町。 ←「神田明神西町」で「門前」入らないのでは?

『江戸町名里俗名集覧』による

◉亀井町裏河岸…亀井町の「埋地」の所を「亀井町裏河岸」と云とある。恐らく、1869(明治2)年に合併した北部の元岩井町埋立地のことかと思われる。場所が竜閑川の南側であれば、日本橋地区のものとなる。

◉なべづる横丁…「うらさるがく丁」の説明に「といふハ同所(さるがく丁)うしろ、又なべづる横丁を云」とある。たしかに裏猿楽町は鍋釣のようになっているが、そのどこを指すのか不明。

◉新茅場町…「四軒屋敷」の説明に「新かやば町辺」とある。これは「新革屋町辺」の間違いかと思われる。


まだまだどんどん増えていきます。

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。