【京橋②】八町堀寺町
町名:八町堀寺町
読み方:はっちょうぼりてらまち Hatcōbori-Teramachi
区分:俗称
起立:江戸期
廃止:江戸期
冠称:なし
後身:武家地等
現町名:中央区八丁堀一~三丁目、日本橋茅場町一~三丁目
概要:もとは「野寺町」といったらしい。1612(慶長17)年、徳川家康が西国諸国大名に助役を命じ、通船のために堀割を開鑿。海から長さ8丁(約880m)だったので「八町堀舟入」と呼ばれた。堀付近には日比谷門内、桜田、数寄屋町から寺院が移転し、慶長年間(1596~1615年)では、大仙寺(1595(文禄4)年建立)、玉円寺(創建不詳)等、大寺院が4寺既に存在し、1611(慶長16)年以降には多くの寺院が八町堀の地で創建された。 しかし、1636(寛永13)年から始まった江戸城拡張工事に伴い、1635(寛永12)年には玉円寺を除き全ての寺院が三田、本郷、浅草、深川に強制移転させられ、跡地には与力・同心の屋敷が建てられた。元禄(1688~1704年)末期には手付かずのまま放置された密教道場の廃墟があったという。
撮影場所:八町堀寺町
※現在の玉円寺
旧町名による所在地:京橋区岡崎町一丁目39・40番地
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