【浅草②】紙漉町
町名:紙漉町
読み方:かみすきちょう Kamisukichō
区分:俗称
起立:江戸期
廃止:江戸期
冠称:なし
現町名:台東区雷門一丁目
概要:浅草田原町の俗称。江戸時代、江戸における最初の紙漉きが行われた場所である。江戸時代を通じて盛んに製紙業が行われ、その産紙は「浅草紙」と呼ばれて土地の特産物だった。1676(延宝4)年版の『江戸絵図』には浅草田原町一丁目の西側の道に「カミスキ丁」と記され、1687(貞亨4)年刊『江戸鹿子』にも「紙すき町」の名が見える。また、1773(安永2)年に成立した『江戸図説』によると、紙は浅草田原町の他に橋場・鳥越や現・足立区千住方面でも生産されていたという。明治時代になると、浅草紙の製造工場は橋場や南千住の方に移り、浅草付近では作られなくなる。
僅かに紙漉きの名残を留めているのは、山谷堀に架かる「紙洗橋」とその近辺の交差点表示のみである。浅草紙は不要になった古紙を手で漉き返して再利用する、今でいうリサイクル・ペーパーである。
撮影場所:紙漉町
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