【本所②】深川北松代町裏町
町名:深川北松代町裏町
読み方:ふかがわきたまつしろちょううらまち Fukagawa-Kita-Matsushirochō-Uramachi
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1872(明治5)年
冠称:「深川」
後身:深川北松代町一~三丁目
現町名:墨田区江東橋四丁目
概要:もとは小名木川北岸にあったが、明暦年間(1655〜1658年)に上地となったため竪川北岸に代地を与えられて移転。町名は深川北松代町の裏通りに位置することによる。1713(正徳3)年、町奉行・代官両支配となる(備考)。化政期(1804~1830年)の家数89軒(町方書上)。『大江戸今昔めぐり』では深川北松代町一・二丁目の北と御膳奉行中野又兵衛屋敷、岡部因幡守長富家屋敷の北に「深川北松代町裏町」とある。
また、『明治十二年東京全図』(1879(明治12)年)にはその北に「深川本村」と、『東亰全圖』(1900(明治33)年)には同所に「深川本村飛地字松代町裏」とあるが、そことの関係は不明。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、深川北松代町一~三丁目に編入となり消滅。
撮影場所:深川北松代町裏町
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