【麹町 横町(横丁)】鬼婆横町

横町(横丁)名:鬼婆横町

読み方:おにばばよこちょう Onibaba-yokochō

区分:横町(横丁)

成立:江戸期

廃止:不明

現町名:千代田区一番町

概要:『番町麹町四谷御門内辺絵図』に「ヲニバラヨコ丁」(「バ」や「ゞ」ではなく「ラ」とある)とある。ただし、他の地図では「大横丁」とある。

岡本綺堂の『妖婆』によると、「新五番町の一部で、普通の江戸絵図には現われていないほどの狭い路で、俗にいう三町目谷の坂下から東へ入るのである。ここらの坂下は谷と呼ばれるほどの低地で、遠い昔には柳川という川が流れていたとか伝えられ、その川の名残りかとも思われる大溝が、狭く長い横町の北側を流れて、千鳥ヶ淵の方向へ注ぎ入ることになっている。その横町を江戸時代には俗に鬼婆横町と呼び慣わしていた」とある。

毎夕暮れ六つの鐘の聞こえる頃、麹町大通りの酒屋へ老婆が一合の酒を買いに来る。やがて懇意になり、酒屋が老婆に住所を訊くが、毎度はぐらかされる。不審に思って店員が尾行してみるが老婆は横町へ入ると姿を消してしまう。その後も幾度か尾行を試みるが、老婆は横町へ折れるとやはり姿を消してしまう。やがて老婆は店の者が自分を付けてくることに勘付き、二度と酒屋へは通って来なくなった。この話に尾鰭が付き、単に余り深く人付き合いをしたくなかっただけだったかもしれない老婆が「鬼婆」とまで言われてしまい、ここは明治末期まで「鬼婆横町」と呼ばれることになった。なお、『妖婆』の時代設定は1851(嘉永4)年正月とあるので、「鬼婆横町」と呼ばれるようになったのはそれ以前のことである。


『番町麹町四谷御門内辺絵図』に「ヲニバラヨコ丁」とあるところを撮影したが、ここよりやや南の上り坂の途中にある、千代田一番町ビルと全国町村議員会館の間の小道が当横町であるという説もある。なおその小道の北に沿った溝は水を千鳥ヶ淵に吐いていたらしいが、維新後には幅を狭められ、さらに関東大震災による帝都復興計画の区画整理によって暗渠化され、路幅も以前の3倍以上に拡幅されたようだ。 

はじめ、撮影は千代田一番町ビルと全国町村議員会館の間の小道を当横町であると紹介する別のサイトにアップされている画像と同じ箇所で行ったのだが、そこは江戸期には溝口真太郎屋敷西側の中央部にあたることが判明。少し東奥に進むと道はクランク状になっており、裏五番町通(『大江戸今昔めぐり』では「表五番町通」とあるが間違いではないかと思われる)に抜けることができる。クランクから先は江戸期において北に戸川右近屋敷、南に小堀銨太郎屋敷が建っていたその境であった。

撮影場所:鬼婆横町

撮影地:千代田区一番町9番地9(GRANDE MAISON 一番町 鮨勝一番町店)

狐横丁 大横丁


参考:千代田区一番町25番地(全国町村議員会館)の北にある小道を鬼婆横町であるとするサイトもある。下の写真はそこを麹町三丁目横丁通リから見たところ。この部分は溝口真太郎屋敷西側中央部に当たる。

参考:その小道を奥に行ったところ。クランクになっている。

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。