【荏原 河岸】問答河岸

河岸名:問答河岸

読み方:もんどうがし Mondō-gashi

区分:河岸

成立:江戸期

廃止:不明

現町名:品川区北品川一、四丁目

概要:1629(寛永6)年、沢庵和尚は幕府批判というかどで出羽国上山に流罪となった(紫衣事件)。しかし、1632(寛永9)年に徳川秀忠死去による大赦で許され江戸へ向かう。1634(寛永11)年、大徳寺に帰山し、二条城で徳川家光と接見したことを機に、沢庵は家光に気に入られる。家光は1636(寛永13)年に沢庵を江戸へ呼び寄せ、家光主催の茶会にも招く等の厚遇。さらに沢庵のために品川御殿に隣接する地に東海寺を建立する。1639(寛永16)年、沢庵は将軍の命により落成した東海寺に入り開山となる。家光は頻繁に東海寺を訪れており、沢庵が北品川の河岸に家光を迎えに出たときの問答が『徳川実記』に残る。「海近うして、東海寺(遠海寺)とはいかに」との家光の問い掛けに、沢庵が「大君(たいくん)にして将軍(小軍)と称し奉るがごとし」と返したといわれている。そこは後に「問答河岸」と呼ばれるようになった。 問答河岸の位置は、現・北品川一丁目23番と29番の間辺りといわれているが、碑が設置されているのはもう少しの北の北品川一丁目22番21号。なお、『大江戸今昔めぐり』では八ツ山橋の真ん中南側となっている。

撮影場所:問答河岸

撮影地:品川区北品川四丁目無番地(八ツ山橋上南側中央)






江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。