【神田②】御台所町
町名:御台所町
読み方:おだいどころまち Odaidokoromachi
区分:俗称
起立:江戸期
廃止:不明
冠称:不明
現町名:千代田区岩本町二・三丁目辺り
概要:『御府内備考』には「お玉が池の内なり。御臺所衆の拝領地なり」とあるが、古地図はどれも池が埋め立てられた後のものなのでそのうちのどこであるか特定できない。
江戸時代、お玉が池は桜の名所として知られる景勝地だった。面積は広大で、現在の不忍池ほど。しかし、江戸末期、宅地化のために神田山(駿河台)の土で埋め立てられてしまい、『日本橋北内神田兩國濱町明細繪圖』(1859(安政6)年)では「玉池イナリ」の西に申し訳程度に残されているのみ。
なお、お玉が池はもとは「桜が池」といわれていた。池の畔にあった茶屋に「お玉」という看板娘がおり、姿形が全く一緒の2人の男に求愛されて悩み、池に投身自殺。お玉は池畔に埋葬され、その死を悼んでお玉稲荷が建立される。その頃から「お玉が池」と呼ばれるようになったらしい。
撮影場所:御台所町
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