【麹町①011】八重洲町
町番号:麹町①011
町名:八重洲町 一・二丁目
区分:町丁
読み方:やえすちょう Yaesuchō
起立:1872(明治5)年
廃止:1929(昭和4)年4月14日
冠称:なし
現町名:千代田区丸の内一丁目9番南半分、10・11番、二丁目1・2、5~7番
概要:馬場先門外、大名小路中央一帯にあたり、慶長年間(1596~1615年)は新庄直頼、京極高次、徳永寿昌、溝口秀勝、土屋重成等の屋敷があった。貞享年間(1684~1688年)には儒者林大学頭の屋敷及び大礼の時、高倉家が使用した高倉屋敷があった(備考・沿革図書)。幕末は備前岡山藩池田氏、出羽天童藩織田氏、美作津山藩松平氏、美濃岩村藩松平氏等の上屋敷、火消屋鋪があった(切絵図)。
町名は慶長年間(1596~1615年)頃、日比谷堀端にあったオランダの航海士、朱印船貿易家であったヤン・ヨーステンの屋敷に因む。ヤン・ヨーステンは日本名を「耶楊子」と書いたが、他に八重洲、八重数(名所咄)、弥与三(紫の一本)、八代洲、冶容子(砂子)、弥養子、八代曽(新編江戸志他)等と書かれた。和田倉門橋と馬場先門橋の間にあった和田倉濠の河岸は「八重洲河岸」と呼ばれた。
1872(明治5)年、起立。同年の戸数17・人口63(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府麹町区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麹町区に所属。明治30年代の町内には、警視庁、東京区裁判所、明治保険会社、三菱合資会社、福島合名会社等があった(画報)。
1929(昭和4)年4月15日、帝都復興計画の一環により、丸ノ内二丁目に編入となり消滅。なお、1954(昭和29)年、日本橋側に新たに「八重洲」の町名ができる。また、1970(昭和45)年1月1日、住居表示の実施により、丸ノ内は「丸の内」となり、二丁目の一部が一丁目に編入となった。
撮影場所:八重洲町一丁目
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