【麹町①014】内山下町
町番号:麹町①014
町名:内山下町 一・二丁目
読み方:うちやましたちょう Uchi-Yamashitachō
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:1938(昭和13)年7月31日
冠称:なし
現町名:千代田区日比谷公園南部、内幸町一丁目1番
概要:江戸城日比谷御門のすぐ外で、山下門内の地域。江戸期には北側に御用屋敷、長門萩藩毛利邸、肥前小城藩鍋島邸等、南側に播磨三草藩丹羽邸、下野吹上藩有馬邸、丹波福知山藩朽木邸、陸奥盛岡藩南部邸、肥前唐津藩小笠原邸、河内狭山藩北條邸等の各上屋敷があった。
明治維新後に屋敷は打ち壊され、「日比谷ヶ原」と呼ばれた。1871(明治4)年、日比谷や霞ヶ関の旧武家地一帯に陸軍操練所が設置された。
1872(明治5)年、一・二丁目が起立。町名は「山下御門内」と呼ばれていたことが由来。門外の山下町と区別するため「内」を頭に付けた。同年の戸数3・人口32(府志料)。二丁目は陸軍操練所だった。1873(明治6)年、一丁目の旧鹿児島藩島津邸跡に博物館が開設された。
1878(明治11)年11月2日、東京府麹町区に所属。1881(明治14)年、博物館が上野に移転。1883(明治16)年、その跡地には外務卿井上馨の発案により、外国貴賓や上流社会の社交場「鹿鳴館」が建設された。1885(明治18)年、陸軍操練所が「陸軍練兵場」に改称。1888(明治21)年、練兵場が青山火薬庫跡(現・明治神宮外苑内)に移転。
1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麹町区に所属。1890(明治23)年、鹿鳴館が華族会館となり(1945(昭和20)年、戦災で焼失)、11月には帝国ホテルが開業。西日比谷町にかけて、近衛兵営・日比谷練兵場等の陸軍省用地があったが、1892(明治25)年には全面移転。1903(明治36)年6月1日、北の西日比谷町東部と併せて日比谷公園が完成。
帝都復興計画の一環により、1934(昭和9)年に二丁目が日比谷公園に、1938(昭和13)年8月1日に一丁目が内幸町一丁目にそれぞれ編入となり消滅。
撮影場所:内山下町二丁目
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