【麹町①016】霞ヶ関

町番号:麹町①016

町名:霞ヶ関 一・二丁目

読み方:かすみがせき Kasumigaseki

区分:俗称→町丁

起立:江戸期

廃止:存続 「霞が関」として

冠称:なし

現町名:千代田区霞が関一・二丁目の各一部、永田町一丁目の一部

概要:地名の由来は江戸期以前荏原郡の東境にあった奥州古街道の関「霞ヶ関」によるといい、日本武尊が蝦夷に備えて設けたもので雲霞を隔てる眺望の地であったことから付けられたという伝説がある(武蔵野地名考)。藤原為世の「おなじくは空に霞の関もがな雲路の雁をしばしとどめむ」(続千載集)の歌をはじめ、宗祇は「霞が関は西より川流れたり」(名所方角抄)と記し、「秋の寝覚」には「霞ヶ関 さくら、呼ぶ鳥、雁」とあるなど歌枕の地として多くの和歌に詠まれた。江戸期からは桜田門の南、筑前福岡藩黒田氏上屋敷と安芸広島藩浅野氏上屋敷の間の坂名となり、また汎称としても用いられた。

1872(明治5)年、黒田氏、摂津三田藩九鬼氏、陸奥中村藩相馬氏、遠江横須賀藩西尾氏、常陸下館藩石川氏、越前鯖江藩間部氏、美濃高須藩徳永氏上屋敷等の武家地を併せて起立。同年の戸数15・人口95(府志料)。明治維新後すぐに大火があり、跡地に外務省(1869(明治2)年、旧福岡藩黒田家上屋敷跡に設置)、海軍省、貴族院、衆議院長官舎、有栖川宮邸が置かれたことをきっかけに、官公庁施設の集積地(正式には中央官衙地区又は霞が関一団地の官公庁施設と呼ばれる)としての計画的な整備が進められて官庁街となる。これが転じて「霞が関」という語は、「日本の中央官界」の代名詞としても使われている。また、中でも最も古くから霞が関にある「外務省」の代名詞として、「官邸外交」に対する「霞が関外交」のように用いられることもある。

1878(明治11)年11月2日、東京府麹町区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麹町区に所属。1938(昭和13)年8月1日、帝都復興計画の一環により、一・二丁目が二丁目に、西日比谷町外桜田町が一丁目となり、内幸町二丁目と裏霞ヶ関三年町の一部が新設の三丁目となった。1943(昭和18)年7月1日、東京都麹町区に所属。戦後は米軍の業務、住宅施設が存在していた時期もあった。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。

1967(昭和42)年4月1日、住居表示の実施により、一丁目1番地(一部を除く)と二丁目1番地、三丁目1、3番地が霞が関一丁目の一部に、一丁目1番地の一部及び2番地と、二丁目2番地の一部が霞が関二丁目に、三丁目2、4、7番地と三年町1番地の一部、永田町二丁目1番地の一部が霞が関三丁目の一部に、また二丁目2番地と三丁目6番地が永田町一丁目の一部に編入となり、現在に至る(なお、これを機に町名のうちの「ヶ」を「が」に改めている)。1968(昭和43)年に日本初の超高層オフィスビルである霞が関ビルディングが完成している。

撮影場所:霞ヶ関一丁目

撮影地:千代田区霞が関二丁目1番3号(国土交通省前)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:市ヶ谷田町下二丁目