【麹町①020】永田町

町番号:麹町①020

町名:永田町 一・二丁目

読み方:ながたちょう Nagatachō

区分:俗称→町丁

起立:江戸期

廃止:存続

冠称:なし

現町名:千代田区永田町一・二丁目の各一部、平河町二丁目の一部

概要:『麹町永田町外櫻田繪圖』に「永田丁」と、『番町麹町永田町外櫻田邉』には「永田町」とある。町名は江戸時代初期に永田姓の屋敷が3家並んでいたため(府志料)、一帯が「永田馬場」と呼ばれたことに由来する。

江戸期は日枝社門前一帯の武家地を「永田馬場」と俗称。永田馬場彦根藩邸付近には桜が井・柳の井の2名泉があり、また日枝社社叢をはじめ、一帯は桜の名所として江戸庶民の散策の場でもあった(江戸名所・画報)。江戸城に近いことから大名屋敷が建ち並ぶようになり、江戸末期に暗殺された井伊直弼をはじめとする多くの大名屋敷があった。

1869(明治2)年、正式に起立。1872(明治5)年以降、現在の憲政記念館から日本水準原点付近に陸軍省、参謀本部、教育総監部、陸軍航空総監部等、陸軍中枢が順次置かれた。1872(明治5)年、近江彦根藩、安芸広島藩、信濃松本藩、常陸笠間藩、肥後宇土藩、肥前大村藩の各屋敷地等を一丁目に、出雲松江藩、陸奥二本松藩、和泉伯太藩、但馬豊岡藩、武蔵岡部藩、三河刈谷藩、越後村上藩他の屋敷地と日枝前町、日枝神社境内を二丁目に合併。同年の戸数159・人口642(府志料)。明治初期より行政機関が集中、一丁目には陸軍省、参謀本部、陸地測量部、ドイツ大使館、二丁目には首相官邸、陸軍・大蔵・文部各大臣官邸の他、清国・メキシコ公使館、華族女学校、陸軍幼年学校が設置された。

1878(明治11)年11月2日、東京府麹町区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麹町区に所属。

1934(昭和9)年、帝都復興計画の一環により、一丁目の一部を平河町二丁目へ編入し、平河町五丁目と隼町の各一部を編入。1936(昭和11)年11月、一丁目に国会議事堂が内幸町より移転。同年2月の「2・26事件」では反乱軍が陸軍省、参謀本部、首相官邸、工事中の国会議事堂等を占拠した。1941(昭和16)年12月以降、陸軍中枢が市ヶ谷台に移転するまで、「三宅坂」或いは「永田町」といえば、主に参謀本部を指す言葉でもあった。1943(昭和18)年7月1日、東京都麹町区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。

1967(昭和42)年4月1日、住居表示の実施により、一丁目の大部分(一丁目19番地の一部以外)と二丁目14番地、霞ヶ関二丁目2番地の一部、霞ヶ関三丁目6番地、三年町1番地の一部及び3~5番地が(新)一丁目に、一丁目19番地の一部、二丁目の大部分(二丁目1番地の一部と14番地以外)が(新)二丁目となり、また、二丁目1番地の一部が霞ヶ関三丁目2、4、7番地と三年町1番地の一部とともに霞が関三丁目に編入となり、現在に至る。

2003(平成15)の旧首相官邸改築工事の際には村上藩内藤家の屋敷跡が発見されている。「永田町の論理」等、国会議事堂があるために町名が政治や国会議員等を指すこともある。

撮影場所:永田町一丁目

撮影地:千代田区永田町一丁目7番1号(国会議事堂)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。