【麹町①038】富士見町

町番号:麹町①038

町名:富士見町 一~六丁目

読み方:ふじみちょう Fujimichō

起立:1869(明治2)年

廃止:存続 「富士見」として

冠称:なし

現町名:千代田区九段南二丁目、九段北一・二丁目、富士見一・二丁目、西神田三丁目

概要:1869(明治2)年、三番町馬場、九段坂火除明地薬園、田安門外薬園、人参畑火除地と周辺の武家地を併せて成立。靖国神社(はじめ、招魂社)が創祀されてから町化が進んだ。1872(明治5)年、新道一番町新道二番町三番町表四番町土手四番町裏四番町の各一部と薬園跡、四番町火除地と合併、富士見町一~六丁目となった。町名は富士山の見える町という意。同年の戸数327・人口1,182(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府麹町区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麹町区に所属。明治30年代の町内には、農商務大臣官舎、陸軍経理学校、軍医学校、富士見高等小学校(幼稚園を併設)、宮崎高等小学校、富草高等小学校、和仏法律学校(仏語学校と塩田文庫を併設)、明治義会中学校、英語会話学校、大日本塩業学会、九段美以教会、中学書院、東光館、保勲会事務所、雅楽稽古所等の他、飲食店、待合も多かった。

1933(昭和8)年7月1日、帝都復興計画の一環により、一丁目の一部が飯田町二・三丁目の一部として編入され、一・二丁目の一部が飯田町六丁目の一部として編入される。また、二丁目が九段二丁目に、三丁目が九段三丁目となり、四丁目が三丁目、五丁目が二丁目、六丁目が一丁目となる。さらに、1938(昭和13)年8月1日には一丁目が三番町の一部、九段二丁目の一部に編入となる。1943(昭和18)年7月1日、東京都麹町区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。

1966(昭和41)年10月1日、住居表示の実施により、一丁目20番地以外と飯田町一丁目23番地の一部が富士見一丁目の一部に、二丁目12番地の一部以外と三丁目全域、飯田町二丁目19番地が富士見二丁目の一部にそれぞれ編入となり、また、一丁目20番地が九段北一丁目の一部に、二丁目12番地の一部が飯田橋四丁目の一部に編入となり、現在に至る(なお、これを機に町名のうちの「町」を取っている)。

撮影場所:富士見町二丁目

撮影地:千代田区九段北三丁目1番1号(靖国神社)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。