【麹町①031】三番町

町番号:麹町①031

町名:三番町

読み方:さんばんちょう Sambanchō

区分:俗称→町丁

起立:江戸期

廃止:存続

冠称:なし

現町名:千代田区九段北三・四丁目、九段南三・四丁目

概要:江戸時代の旗本のうち、将軍を直接警護するものを「大番組」と呼び、大番組の住所があったことから「番町」と呼ばれた。

江戸期は「市ヶ谷御門内三番丁通」の通称だったが、1869(明治2)年に公式町名となった。1872(明治5)年、一部は富士見町二・三丁目となり、同時に表四番町裏六番町を合併。同年の戸数244・人口770。物産に傘があった(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府麹町区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麹町区に所属。明治期には大原重朝、裏松良光等、華族の屋敷や番町商品館、救世軍本部、高等看護学伝習所、一心学舎、温知塾、肇修黌、循誘学舎、田中学舎、欧亜学舎、東京簿記専門教習所等の私塾、専門学校の他、性成小学校等があった。万源楼をはじめ、飲食店も多く、靖国神社参詣の帰途に立ち寄る客が多かった(画報・千代田区史)。また、小山内薫、網野菊、大杉栄等が住んでいたこともある。町の東側に「芸者横町」という俗称地名があった(東京地理志)。

1933(昭和8)年7月1日、帝都復興計画の一環により、九段三・四丁目となる。同時に1933(昭和8)年6月30日までの一番町上六番町、1938(昭和13)年7月31日までの富士見町一丁目の一部が合併し、(新)三番町が成立。一番町同様、全く別の位置ではあるが、現在の三番町を(旧)三番町の後継とする。1943(昭和18)年7月1日、東京都麹町区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。1966(昭和41)年、住居表示の実施により、一部を九段南二丁目に編入。

なお、(旧)三番町は現行の九段北三・四丁目、九段南三・四丁目のうち。

撮影場所:三番町

撮影地:千代田区九段南三丁目8番8号(靖国通り)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。