【神田①032】神田五軒町

町番号:神田①032

町名:神田五軒町

読み方:かんだごけんちょう Kanda-Gokenchō

区分:俗称→町丁

起立:江戸期

廃止:1964(昭和39)年11月30日

冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「神田」

現町名:千代田区外神田六丁目

概要:江戸時代、上総久留里藩黒田家上屋敷、下野黒羽藩大関家上屋敷、安房勝山藩酒井家上屋敷、播磨林田藩建部家上屋敷、信濃上田藩松平家下屋敷の5つの大名屋敷が並んでいた。俗に「五軒町」と呼ばれていたのはそのため。切絵図によれば、立花金之丞の屋敷があった(東京地理志料)。維新後は荒廃していたが、政府によって桑や茶の植え付け地となった。

1872(明治5)年、正式に起立。この頃から人家が建ち並ぶようになる。同年の戸数112・人口420(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。明治30年代には練成小学校、宮地獄教会誠教学院、標本の製作・販売と博物学雑誌を刊行していた動物標本社、花魁天麩羅で区内第一といわれた梅月、寄席の日本亭等の他、松平乗命、松平乗長、大田原一清等の華族の屋敷があった(画報)。1943(昭和18)年7月1日、東京都神田区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。

1964(昭和39)年12月1日、住居表示の実施により、外神田六丁目に編入となり消滅。

撮影場所:神田五軒町

撮影地:千代田区外神田六丁目11番19号(千代田区立練成公園)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。