【神田①077】駿河台東紅梅町
町番号:神田①077
町名:駿河台東紅梅町
読み方:するがだいひがしこうばいちょう Surugadai-Higashi-Kōbaichō
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:1933(昭和8)年
冠称:「駿河台」
現町名:千代田区神田駿河台四丁目1~4番地と6番地北東以外
概要:「駿河台」は、はじめ北方の本郷台地の南端であったが、1620(元和6)年に二代将軍秀忠の命によって仙台藩祖伊達政宗が仙台堀(神田川)を開鑿したことにより、北の湯島台と駿河台とに分離され、そう呼ばれることになった。
1872(明治5)年、昌平橋南西の定火消屋敷他の武家地を併せて起立。備後福山藩阿部氏上屋敷北側の道(1、3番地の間)は淋しく、一帯は「幽霊坂」と呼ばれていたが、辻甚太郎の屋敷に紅梅の大樹があったので「紅梅坂」に改められた。これが町名の起こりという(駿河台志)。同年の戸数40・人口221(府志料)。町内には太田道灌が勧請した太田姫稲荷社があり、金山神社が併祀されていた。
1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。明治30年代の町内には主教ニコライ堂、井上眼科病院等の他に岩崎弥太郎邸をはじめとする屋敷があった(画報)。
1933(昭和8)年、帝都復興計画の一環により、駿河台四丁目に編入となり消滅。
撮影場所:駿河台東紅梅町
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