【神田①076】駿河台袋町
町番号:神田①076
町名:駿河台袋町
読み方:するがだいふくろまち Surugadai-Fukuromachi
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:1933(昭和8)年
冠称:「駿河台」
現町名:千代田区神田駿河台一丁目3、5、7番地と二丁目1、5番地南、9番地南東、神田猿楽町二丁目4番北東
概要:「駿河台」は、はじめ北方の本郷台地の南端であったが、1620(元和6)年に二代将軍秀忠の命によって仙台藩祖伊達政宗が仙台堀(神田川)を開鑿したことにより、北の湯島台と駿河台とに分離され、そう呼ばれることになった。江戸期、鈴木町と裏猿楽町に挟まれた一帯を、享保年間(1716~1736年)以前、水道橋口が袋小路となっていたため、俗に「大袋町」といった(画報)。
1872(明治5)年、江戸時代からの通称である大袋町・小袋町の内、大袋町は駿河台袋町として成立。同年の戸数21・人口88(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。明治30年代の町内には、小松宮邸をはじめ宮家や華族の屋敷があり、駿台英和女学校、興風女学校、東京産科婦人科病院等があった(画報)。
1933(昭和8)年、帝都復興計画の一環により、駿河台一・二丁目のそれぞれに編入となり消滅。
撮影場所:駿河台袋町
0コメント