【京橋①001】北槇町

町番号:京橋①001

町名:北槇町

読み方:きたまきちょう Kita-Makichō

区分:町丁

起立:1722(享保7)年

廃止:1931(昭和6)年

冠称:なし

現町名:中央区八重洲二丁目、京橋一丁目

概要:古くは本材木町から外堀に通じた入堀だったが、正保年中(1645~1648年)に埋め立てられ、明暦の大火後は火除地となる。1720(享保5)年に蔵地、天明年間(1781~1789年)以後、御用達町人の拝領地となり、1722(享保7)年に町地として起立(府志料)。町名は南槇町に対して付けられたと思われる。町の西南隅には油座があった(嘉永7年板切絵図)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、冨槇町を合併。1872(明治5)年の戸数135・人口566(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府京橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市京橋区に所属。

1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、槇町一丁目、京橋一丁目に編入となり消滅。

撮影場所:北槇町

撮影地:中央区八重洲二丁目1番(東京駅八重洲パーキング東P)

002南槇町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。