【京橋①002】南槇町

町番号:京橋①002

町名:南槇町

読み方:みなみまきちょう Minami-Makichō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1931(昭和6)年

冠称:なし

現町名:中央区八重洲二丁目、京橋一丁目

概要:安政6年再板切絵図によると、冨槇町桶町一丁目に挟まれ、「西横町、西会所、東会所」とある。昔は、入堀跡の蔵地であった(中央区史)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、南槇町西会所(現在の住友生命ビルの辺り)と桶町東会所を併合。外堀沿いの河岸地を「城辺河岸」又は「八代洲河岸」といった。1872(明治5)年の戸数260・人口1,085(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府京橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市京橋区に所属。

1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、槇町一丁目、京橋一丁目に編入となり消滅。現行の八重洲二丁目の北部と京橋一丁目のうち。

撮影場所:南槇町

撮影地:中央区八重洲二丁目2番2号(中央区立城東小学校)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。