【京橋①049】采女町
町番号:京橋①049
町名:采女町
読み方:うねめちょう Unemechō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:1931(昭和6)年
冠称:なし
現町名:中央区銀座五丁目
概要:町名は、江戸前期から1724(享保9)年頃まで伊予今治藩主松平采女正定基の屋敷があったことによる。1724(享保9)年の大火後は火除地となり、俗に「采女が原」と呼ばれた。1727(享保12)年には現在の歌舞伎座前に馬場が設けられ、付近は「広小路」とも称された。馬場には貸馬もあり、武士たちが乗馬の稽古に励んだという(画報)。『江戸名所』に「常に賑わしく、講釈師・浄瑠璃の類い軒を並べて行人の足をとどむ」と記され、武家地には珍しい賑わいを見せた。また、松平采女正の屋敷内には名水「采女の井」があった(江戸志)。
1869(明治2)年、芝西応寺町代地、木挽町続氷川屋敷、木挽町馬場を併合して起立。さらに越前敦賀藩酒井氏邸跡を合併し町域を拡げた。1872(明治5)年の戸数63・人口228(府志料)。銀座煉瓦街と築地の外国人居留地との間に位置し、和洋混合の新興市街地が形成されていった。
1878(明治11)年11月2日、東京府京橋区に所属。1887(明治20)年、山縣有朋の時事通信社(後に「東京通信社」と改称)が移転。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市京橋区に所属。
1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、木挽町五丁目に編入となり消滅。築地川には采女橋が架かっていたが、1962(昭和37)年には高速道路上を渡す橋となった。
撮影場所:采女町
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