【芝①071】本芝
町番号:芝①071
町名:本芝 一~四丁目
読み方:ほんしば Honshiba
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1964(昭和39)年6月30日
冠称:なし
現町名:港区本芝四・五丁目、芝浦一丁目
概要:もとは豊島郡柴村のうちで、海浜に漁家が点在し、文明年間(1469~1486年)頃から「柴」或いは「柴の浦」と称した。徳川家康の関東入国以前から7人の百姓が漁業を営んでいたという(備考)。江戸期に入ってから、往還沿いのため年を追って町屋ができ、1662(寛文2)年からは町奉行・代官両支配となる。町名は芝の本村であったことによる(町方書上)。1827(文政10)年の総家数869軒、うち家持34・家守86・地借12・店借737。表通り東南側には魚店(触れ売りの卸元のような店)が多かったと思われ、町の東南裏は「網干場」と呼ばれ、この浦で獲れる魚を「芝肴」といった。大通りを境に海辺を「海側」、北西側を「山側」と称したともいわれ、「大曲」、「雑魚場」、「袖ヶ浦」、「釜屋横町」等の里俗名があった。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、越前鯖江藩間部氏等の武家地、浄土宗瑠璃山宗光寺、同演暢山法音寺、浄土真宗離欲山正念寺等の寺社地を合併。同年の戸数564・人口2,284(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市芝区に所属。1908(明治41)年の世帯700・人口3,213。明治以降埋立により町域が海浜に広がり、海沿いに鉄道が通り、海水浴場(潮場)の料理店大光館、芝浦館等ができ、遊楽地となった。その後、さらに埋め立てられて工場地帯となり、第二次大戦時には線路沿いは疎開地ともなった。
1936(昭和11)年1月1日、帝都復興計画の一環により、一・二、四丁目の一部が芝浦一丁目に編入となる。1943(昭和18)年7月1日、東京都芝区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。
1964(昭和39)年7月1日、住居表示の実施により、現行の芝四・五丁目に編入となり消滅。
撮影場所:本芝四丁目
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