【麻布①001】飯倉町
町番号:麻布①001
町名:飯倉町 一~六丁目
読み方:いいぐらまち Iiguramachi
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1981(昭和56)年3月31日
冠称:1947(昭和22)年3月15日から「麻布」
現町名:港区麻布台一・二丁目、東麻布一・二丁目、芝公園四丁目
概要:「いいぐら」と濁るのが正式。古奥州街道沿いに町屋、背後に武家地・寺社地があり、一~六丁目があった。1662(寛文2)年、町方支配となる。俗に一丁目は「西久保八幡前」、三・四丁目は「土器町(かわらけちょう)」と呼ばれた。他に「西久保(土器町)四ツ辻」、「西横丁」、「小出長屋」、「赤羽広小路」、「赤羽ちょろ河岸」、「雁木坂」、「榎木坂」、「土器坂」等の俗称地名があった。1828(文政11)年の総家数654軒、うち家持27・家主100・地借106・店借421(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)~1872(明治5)年、光蔵院、熊野社、一乗寺、真浄寺、天徳寺隠居所、瑠璃光寺、順了寺門前、飯倉善長寺門前、心光寺、円明院門前、芝御霊屋御掃除屋敷代地、芝永井町代地、飯倉町続芝永井町代地、飯倉的場屋敷武家地、外国人応接所跡を合併。同年の戸数633・人口3,023、金箔・西洋服・煉油等多くの物産があった(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府麻布区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。
1962(昭和37)年、麻布地区の地番整理により、五丁目と四丁目の一部を現行の東麻布一丁目に編入。続いて1972(昭和47)年1月1日には、五丁目が芝公園四丁目に編入、1974(昭和49)年1月1日には一・二丁目が麻布台一丁目に、三丁目が麻布台二丁目、六丁目が麻布台一・二丁目に、そして遂には1981(昭和56)年4月1日には四丁目が東麻布二丁目に編入となり消滅。
撮影場所:飯倉町二丁目
002飯倉狸穴町→
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