【麻布②】土器町
町名:土器町
読み方:かわらけまち Kawarakemachi
区分:俗称
起立:江戸期
廃止:不明
冠称:なし
後身:飯倉町三・四丁目
現町名:港区麻布台二丁目3番の東側と4番、東麻布一丁目・二丁目の北部辺り
概要:明和(1764~1772年)・安永(1772~1780年)年間まで、土器の製造を業とする者が多く住んでいたのでこの名がある(備考)。『江戸鹿子』の諸職諸商人有所の土器の類に、「かわらけ町辺」とあるのは、この界隈を指すものであろう。現行の麻布台二丁目3番の東側と4番、東麻布一丁目・二丁目の北部辺り。
なお、麻布台二丁目、東麻布一丁目にある長い坂を「土器坂」といった。桜田通りを赤羽橋まで下る。「〓毛坂」、「河原毛坂」とも書いた。坂の西側に熊野神社がある。
また、飯倉二丁目と三丁目の間の四ツ辻を「土器町四辻」、「西久保四ツ辻」ともいった(備考)。現行の麻布台一丁目9番の東南端先と麻布台二丁目3番の北東端先辺り。
『芝愛宕下絵図』では東麻布一丁目交差点付近に「土器甼」とある。
※「〓」は馬偏に「皇」
撮影場所:土器町
0コメント