【麻布①010】麻布三河台町
町番号:麻布①010
町名:麻布三河台町
読み方:あざぶみかわだいまち Azabu-Mikawadaimachi
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:1967(昭和42)年6月30日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「麻布」
現町名:港区六本木二~四丁目
概要:江戸時代の初期、越前宰相松平三河守忠直の下屋敷があったことに因み、この辺りを「三河台」と呼ぶようになった。江戸中期に入ると町の北部に御薬草植場と三河台新馬場が設けられた。しかし1792(寛政4)年の火災以降は幕臣の住居となった。また、町域西南部の内藤氏邸は幕末まで同地にあった。六本木に移転した崇厳寺が町内にあり、寺内には「田中閻魔(たなかえんま)」があり、江戸庶民の信仰を集めて繁昌したという。この「田中閻魔」が三丁目の閻魔坂の由来であろう。
1872(明治5)年、麻布東今井町に日向延岡藩内藤右近将監中屋敷跡等の武家地と宗岸寺、大行院等の寺地を合併して起立。檜屋敷の東方に位置する。町名は江戸期の里俗名を採用(備考、切絵図)。同年の戸数23・人口56(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府麻布区に所属。高台は華族等の邸地となり、町内には市立麻布高等尋常小学校があった(画報)。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。
1967(昭和42)年7月1日、住居表示の実施により、六本木二~四丁目に編入となり消滅。首都高速3号線が旧町域を分断、今では六本木四丁目側と六本木三丁目側では全く無関係に感じられる。
※『角川日本地名大辞典』には「六本木3~4丁目の一部となる」とあるが間違い。
撮影場所:麻布三河台町
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