【麻布②】麻布東今井町
町名:東今井町
読み方:あざぶひがしいまいちょう Azabu-Higashi-Imaichō
区分:町丁
起立:1870(明治3)年
廃止:1872(明治5)年
冠称:「麻布」
後身:麻布谷町
現町名:港区六本木三丁目2番32~36号、同4番36号及び六本木一丁目1番11~16号、同2番11~18号、同3番の辺り
概要:1654(承応3)年に今井村の田畑が幕府に召し抱えられることになり、その代わりに与えられた土地は牟礼(井の頭公園の方)であった。代地が余りにも遠いため、村民は移転を嫌がり、後の麻布今井町周辺に移り住んだという。この住民達が麻布今井町、麻布今井寺町、麻布今井三谷町等の起源となり、今井町は当時「今井本村」と名乗っていた。
麻布今井法音寺門前(1631(寛永8)年起立)と麻布湖雲寺門前町(1695(元禄8)年)、四谷仲殿町より転来。但し、四谷仲殿町は2箇所ありどちらであるかは不明)の2つの門前町屋があった。町の南には寛永期に寺院が多く起立し、「麻布今井寺町」と呼ばれた。その中で1869(明治2)年に麻布今井町が起立する。その際、赤坂一ツ木町飛地を合併。一方、上述した今井法音寺門前と麻布湖雲寺門前町は麻布谷町に合併された。
しかし、翌1870(明治3)年12月、麻布今井三谷町、麻布今井寺町、麻布今井法音寺門前が合併し、「東今井町」として独立する。
1872(明治5)年の「町鑑」には既に記載がなく、武家地寺社地合併の際に、武家地寺社地と共に麻布今井寺町が麻布今井町に分離・改称となり、麻布法音寺門前と麻布今井三谷町は再び麻布谷町に編入となって消滅したと推測される。現行の六本木三丁目2番32~36号、同4番36号及び六本木一丁目1番11~16号、同2番11~18号、同3番の辺りに離れてあった。
撮影場所:東今井町
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