【麻布①025】麻布宮村町

町番号:麻布①025

町名:麻布宮村町

読み方:あざぶみやむらちょう Azabu-Miyamurachō

区分:町丁

起立:1678(延宝6)年

廃止:1967(昭和42)年6月30日

冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「麻布」

現町名:港区麻布十番二丁目、六本木六丁目、元麻布二・三丁目

概要:もとは阿佐布村のうち。昔から麻布村の中で「宮村」と呼ばれていた地区。町名は麻布村総鎮守である氷川社があったため。集落はかなり早い段階に、氷川社周辺に成立していたらしい。因みに氷川神社は江戸時代に入った1659(万治2)年に、麻布本村町の現在地に移転しており、現在は麻布宮村町町域に氷川神社はない。1662(寛文2)年、氷川社近辺が召し上げられ、増上寺隠居屋敷となった。1678(延宝6)年に、それまで飯倉狸穴町に寺地を持ち、安全寺門前町屋を有した日蓮宗安全寺が当地に替地を拝して移転してきたが、移転後は門前町屋は持たなかった。

1713(正徳3)年から町奉行・代官両支配となる。町名は麻布村の小名があった(備考)。

江戸時代、北側は大部分内田出羽守の屋敷となっており、南側の竜沢寺周辺が百姓町屋、東側の一角が町屋であった他は大部分が寺社地や武家地であった。大部分が高台だが麓一帯は「藪下」と呼ばれ、私娼窟として知られた。町内には幕府領・天徳寺領・大養寺領があった(備考)。化政期(1804~1830年)の家数257軒、地主19(うち6軒他に住居)・家守10・地借8・店借227(町方書上)。藪下の西側を新道或いは大隈山と称した。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、麻布宗興屋敷、麻布貞久屋敷、麻布永坂町飛地を合併。1872(明治5)年にはさらに下総小見川藩内田氏等の武家地と日蓮宗今井山光隆寺、同法久山安全寺、浄土真宗市谷山長玄寺、同城久山広称寺、曹洞宗祥雲山龍沢寺、天台宗法隆山五光院千蔵寺等の寺地を合併。同年の戸数197・人口665(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府麻布区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。

住居表示の実施により、1966(昭和41)年7月1日に元麻布二・三丁目に編入(後に一部が六本木に変更)、次いで1967(昭和42)年7月1日には六本木六丁目に編入(後に一部が元麻布に変更)となり消滅。

撮影場所:麻布宮村町

撮影地:港区六本木六丁目16番36号(東京都立六本木高等学校)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。