【麻布①031】麻布本村町

町番号:麻布①031

町名:麻布本村町

読み方:あざぶほんむらちょう Azabu-Hommurachō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1966(昭和41)年6月30日

冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「麻布」

現町名:港区南麻布一~四丁目、元麻布一・二丁目

概要:高台と古川沿いの低地が複雑な地形を作り上げており、坂も多い。町域にがま池がある。古くから人が住み着いた土地らしく、貝塚もある。麻布の語源である「阿左布」という地名はこの辺りを指したものと推定される。当然当町ももとは麻布村のうち。里正村吏が居住していたことから「本村」と称し、後に町名となった。町屋は仙台坂上交差点から薬園坂に向かう通りの両側にでき始めた。

1713(正徳3)年、これらの古い村が町奉行・代官両支配となる。俗称では町の中央を「上ノ町(又は上之町)」(「上之町」は北部ともいわれる)、東部又は東北部を「谷戸町」(『江戸切繪圖 : 俚俗 : 麻布飯倉・新堀端』では西部)、西部を「西之台」、南部を「絶江」(川南町大南町仲南町と分けられる)、「仲町(=新町か)」等の俗称があった。町内には寺院が多くあった。江戸時代初期には町の南側が幕府の麻布御薬園となっていたが、その後は土屋相模守の屋敷になった。化政期(1804~1830年)の家数591軒(町方書上)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、麻布春桃院門前、麻布東福寺門前を合併。1872(明治5)年、もと土浦、飯野、八戸3藩の邸地跡等の武家地、臨済宗仏陀山天真寺の一部、麻布善福寺門前等を合併。同年の戸数355・人口1,317(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府麻布区に所属。高台は高級住宅地となり、会社官庁の陵、外国人住宅も多いが、古川端の低地には小住宅、小商店、工場等もあった。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。

住居表示の実施により、1966(昭和41)年4月1日に南麻布一~四丁目に(その後、一部が元麻布に変更)、1966(昭和41)年7月1日には元麻布一・二丁目に編入となり(その後、一部が南麻布に変更)消滅。

撮影場所:麻布本村町

撮影地:港区元麻布二丁目14番21号(L.M MOTOAZABU)

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