【麻布①040】芝森元町

町番号:麻布①040

町名:芝森元町 一~三丁目

読み方:しばもりもとちょう Shiba-Morimotochō

区分:町丁

起立:1698(元禄11)年

廃止:1981(昭和56)年3月31日

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「芝」、1947(昭和22)年3月15日から「麻布」

現町名:港区東麻布一・二丁目

概要:明暦年間(1655~1658年)頃にはまだ人家はなかったようだが、延宝年間(1673~1681年)には一帯が大名屋敷となっていた。元和年間(1615~1624年)に幕府留守居同心白幡小平次等が住居を下谷御切手町に給わったが、1698(元禄11)年9月に類焼し東叡山の御用地となり、当地に移された。町名は1699(元禄12)年3月に芝増上寺森之下(当町域)へ替地を拝領し、「芝森元」と唱えたのが始まりとされる。元禄当時周辺には飯倉永坂町、抱屋敷、大長寺地、光照寺門前町屋、麻布永坂百姓町屋等が東側に、西側には麻布村、麻布永坂百姓町屋、松平丹波守屋敷、池田丹波守屋敷があった。二丁目のところに「先生小路」と俗称する道があり、これは学者や画家が軒を並べていたためで、儒者服部家の居所があったために「服部長屋」ともいわれた。化政期(1804~1830年)の家数151軒、うち地主15・家主15・地借24・店借97(町方書上)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、出羽新庄藩戸沢氏上屋敷、賄方組屋敷等の武家地を合併。同年の戸数254・人口998(府志料)。

1878(明治11)年11月2日に東京府芝区に所属。1880(明治13)年、麻布区に所属替えとなり、「麻布区芝森元町」といった(港区史)。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。明治に入り、町内に森本座、高砂座、曙座のいわゆる「森元三座」と呼ばれた劇場ができたが、場所が悪かったせいか、1902(明治35)年には3座とも跡形もなく消滅。明治以降の町域は商家が多く、一丁目の西部には旧新庄藩の戸沢氏が引き続き邸宅を構えていたが、時代とともに小住宅と町工場に置き換わった。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。

1962(昭和37)年、麻布地区の地番整理により、一丁目の一部と二・三丁目が東麻布一・二丁目に編入となる。そして最後まで残った麻布森元町一丁目の一部も住居表示の実施により、1981(昭和56)年4月1日に東麻布二丁目7番に編入となり消滅。

撮影場所:芝森元町一丁目

撮影地:港区東麻布二丁目12番2号(狸穴坂下 クレッセント麻布)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。