【麻布①041】芝北新門前町

町番号:麻布①041

町名:芝北新門前町

読み方:しばきたしんもんぜんちょう Shiba-Kita-Shin-Monzenchō

区分:町丁

起立:1881(明治14)年

廃止:1967(昭和42)年6月30日

冠称:1881(明治14)年~1911(明治44)年4月30日まで「芝」、1947(昭和22)年3月15日から「麻布」

現町名:港区東麻布二丁目

概要:古川沿いの低地でもともとは低湿地であったが、延宝年間(1673~1681年)には武家地となる。武家地の西2/3は京極氏、東1/3は京極氏から青木氏に代わった。江戸初期は土取場だった古川沿いに町屋ができた。天和年間(1681~1684年)の中頃は広小路状の場所に一時同朋町拝領町屋があった。1806(文化3)年に、古川沿いの町屋部分に、築地同朋町南新門前町一丁目の住民が移転。築地同朋町は以前は「芝新馬場同朋町」と呼ばれ、古川岸の馬場跡にあった(後の三田四国町、現・芝三丁目)が、古川の改修で整地された後に「築地同朋町」と名乗る。その後、住民は神田に、さらに御成小路に移され、最終的に1806(文化3)年に当地に移転。また南新門前町一丁目の方は芝の増上寺南方にあり、芝南新門前一丁目と呼ばれていたが、1806(文化3)年に火事で類焼したことで当地に移転。

1869(明治2)年に両町は合併、古川南側の土地と共に「芝新門前町」と称した。さらに1872(明治5)年に道路北側の武家地を合併して町域が完成し、芝区新門前町となった。

1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。1881(明治14)年に古川北側だけが分離して麻布区に編入、麻布区芝北新門前町となる。「北」を付けたのは芝区側の「新門前町」と紛らわしいためか。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。

1967(昭和42)年7月1日、住居表示の実施により、東麻布二丁目に編入となり消滅。

※『角川日本地名大辞典』には「同(昭和)37~42年に現行の東麻布2丁目・三田1丁目の各一部となる」とあるが、三田一丁目は後身ではない。

撮影場所:芝北新門前町

撮影地:港区東麻布二丁目32番2号(ビバリーホームズ東麻布)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。