【四谷①006】四谷南伊賀町

町番号:四谷①006

町名:四谷南伊賀町

読み方:よつやみなみいがまち Yotsuya-Minami-Igamachi

区分:俗称→町丁

起立:江戸期

廃止:1943(昭和18)年7月

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「四谷」

現町名:新宿区若葉一丁目

概要:前身は四谷伊賀町。古くは豊島郡四谷村・山中村に属したという。1635(寛永12)年、半蔵門内外にあった服部半蔵等の伊賀組に代地として給され、「四谷伊賀町」と称した。起立年代は不詳。1828(文政11)年の家数434軒(町方書上)。四谷大通り(新宿通り)を境に、北側を俗に「北伊賀町」、南側を「南伊賀町」といった。

1872(明治5)年、南北に2分し、俗称を採って正式に起立。その際、近隣の武家地を併合。同年の戸数209・人口897(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府四谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市四谷区に所属。明治中期には「組屋敷の跡なるし故、町家少なかりしも、近年、肆店邸宅相半ばせり」とある(画報)。町内の瑞渓山祥山寺には「貧民児童を教育する所謂鮫河橋の三銭学校」があった。

1943(昭和18)年7月、若葉一丁目に編入となり消滅。

撮影場所:四谷南伊賀町

撮影地:新宿区若葉一丁目1番地6(宝蔵寺)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。