【四谷①005】四谷坂町

町番号:四谷①005

町名:四谷坂町

読み方:よつやさかまち Yotsuya-Sakamachi

区分:町丁

起立:寛永年間(1624~1645年)

廃止:存続

冠称:1911(明治44)年4月30日までと2015(平成27)年7月21日から「四谷」

現町名:新宿区四谷坂町

概要:古くは豊島郡四谷村のうち。江戸以前は薄の生い茂ることから「潮踏の里」と呼ばれた過疎地だった。南半部は「蓮池」という大池で水鳥等もよく飛来して御猟場となっていた。が、寛永年間(1624~1645年)に埋め立てられて町屋が開けた。1634(寛永11)年に町奉行支配となり、「四谷坂町」と称した。町名は南が高く北が低く、町域が傾斜地となっていたのに因む。

1828(文政11)年の家数239軒(町方書上)。「明治以前は過半武家なりしが、今や南部を除て他は皆市家となり、且つ其の地士官、幼年の両大学校に接するを以て、漸次繁栄せり」(画報)。俗に町域東部の坂町坂の坂上を「上坂町」、坂下を「下坂町」と呼び、町域を東西に貫く小路を「法光寺横丁」といった。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、市谷本村町の一部と四谷坂町の代地、四谷伊賀町飛地、御先手組屋敷、法光寺、御先手大繩地、御持大繩地、近隣の武家地を併合。同年の戸数313・人口1,277(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府四谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市四谷区に所属。1911(明治44)年5月1日、東京市内の町名の簡素化が行われ、当町も含めて殆どの町から冠称が外された。1943(昭和18)年7月1日、東京都四谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。そして何と、2015(平成27)年7月21日、104年振りに「四谷」の冠称復活。

撮影場所:四谷坂町

撮影地:新宿区四谷坂町6番(桝箕稲荷神社前)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。