【四谷①025】鮫河橋谷町
町番号:四谷①025
町名:鮫河橋谷町 一・二丁目
読み方:さめがはしたにまち Samegahashi-Tanimachi
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1943(昭和18)年3月31日
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「鮫河橋」
現町名:新宿区若葉二・三丁目
概要:古くは豊島郡山中村に属し、1664(寛文4)年に伊賀者の組屋敷、1693(元禄6)年か1696(元禄9)年に町奉行支配となり、はじめ「鮫河橋新伊賀町」と称し、その後、「鮫河橋谷町」と改称した。町名の由来は、鮫河橋の北方に位置し、また丘陵に囲まれた谷合の地であることによる。先に開けた鮫河橋一帯は「元鮫河橋」と汎称、後発の当町も「鮫河橋」を冠称した。1828(文政11)年の家数427(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年7月、南半部と元鮫河橋北町、元鮫河橋陽光門前、武家地が合併して、鮫河橋谷町一丁目、北半部と近隣の寺地が合併して鮫河橋谷町二丁目となる。当時の戸数412・人口1,359(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府四谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市四谷区に所属。1911(明治44)年5月1日、「鮫河橋」の名はにスラムとして有名であったことからか冠称を外す。
1943(昭和18)年4月1日、若葉二・三丁目に編入となり消滅。
撮影場所:鮫河橋谷町二丁目
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