【四谷①026】元鮫河橋町

町番号:四谷①026

町名:元鮫河橋町

読み方:もとさめがはしまち Moto-Samegahashimachi

区分:町丁

起立:1872(明治5)年7月

廃止:1911(明治44)年4月30日

冠称:「元鮫河橋」

現町名:新宿区南元町、若葉一丁目

概要:「鮫河橋」は江戸期からの汎称地名。元々は「紀州公御中館の後、西南方、坂下を流るる小溝(玉川上水の余流たる桜川)に架す」橋の名であったが、後に桜川沿いの地域の汎称となる。鮫河橋の由来については、「昔此橋の下へ鮫の魚のほとりし事あり」(紫の一本)とも、「牛込行願寺に名馬あり、騮馬(さめうま)なりしに、住職の僧、此馬にのりて、曼供塚へかよいしなり、あるときあやまって、かの馬此はしより落て死たり、それよりさめ馬か橋といいしを、いつの頃か、さめがはしと呼」(砂子)とも、「四谷麹町辺すべて四方高き所の水落あうゆえに、雨後は必ず水深く、小川わたりがたし、常に砂地にて水なり、雨ふるときばかりの橋なるゆえ、雨が橋(さめがばし)といいならわす」(再校砂子)とも、「佐月河村の橋ゆえにかく名付しなり」とも言うが、定説はない。はじめ鮫河橋周辺の地域を俗に「鮫河橋」と称していたが、1664(寛文4)年にさらに北側の地域が伊賀組の屋敷地となり、俗に「鮫河橋新伊賀町」(後に鮫河橋谷町として起立)と称したので、従来の鮫河橋周辺一帯は「元鮫河橋」と称するようになった。その鮫河橋のうちで最初に栄えた地域を「元鮫河橋町」というようになった。

1872(明治5)年、元鮫河橋表町南部、元鮫河橋仲町の一部、槍組屋敷等の武家地が合併して成立。当時の戸数184・人口661(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府四谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市四谷区に所属。「東南の一画は、宮内庁用地にして、甲武鉄道線、東の方御所隧道を通過し、西の方信濃町に貫きたる外、多くの空地を存し、西北の高台には邸宅少からず」(画報)。

1911(明治44)年5月1日、「鮫河橋」の名はにスラムとして有名であったことからか中抜きし、「元町」と改称して消滅。後身の元町は1943(昭和18)年4月1日、南元町と若葉一丁目に編入となり消滅。

撮影場所:元鮫河橋町

撮影地:新宿区南元町4番地(二葉乳児院)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:品川歩行新宿