【牛込①050】牛込喜久井町
町番号:牛込①050
町名:牛込喜久井町
読み方:うしごめきくいちょう Ushigome-Kikuichō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:存続
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「牛込」
現町名:新宿区喜久井町
概要:古くは豊島郡野方領牛込村に属す。1869(明治2)年、牛込供養塚町、牛込馬場下横町、牛込誓閑寺門前、牛込西方寺門前、牛込来迎寺門前、牛込浄泉寺門前、清源寺、本末寺、妙泉寺、南昌寺、感通寺、浄泉寺、宗参寺境内代地、赤城等覚寺持地、八王子権現社地、津山藩松平家下屋敷、旗本屋敷、根来百人組同心大縄地が合併し起立。町名の由来は、当地の名主夏目小兵衛直克の家紋が井桁に菊花をあしらったものであったことに因む。そのことを末っ子の漱石が『硝子戸の中』に書いている。牛込早稲田南町にある新宿区立漱石公園は漱石の自宅であり、終焉の地。
1872(明治5)年、美作津山藩松平氏別宅を併合。同年の戸数137・人口565(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。「旧門前町の外新開の市街なるも、早稲田の諸学校に近きを以て漸次市家を増加し、草津温泉あり、又野戦そばなど称するものあり」(画報)。馬場下町から当町を経て若松町に上る坂道を「夏目坂」という。これはさきの夏目小兵衛宅が坂下東側(1番地)にあったのに因む。1943(昭和18)年7月1日、東京都牛込区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。
1981(昭和56)年6月1日、住居表示の実施により、一部(道路のみ)を戸山に編入。
撮影場所:牛込喜久井町
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