【小石川①058】東青柳町

町番号:小石川①058

町名:東青柳町

読み方:ひがしあおやぎまち Higashi-Aoyagimachi

区分:町丁

起立:1697(元禄10)年

廃止:1723(享保8)年

復活:1730(享保15)年

廃止:1966(昭和41)年12月31日

冠称:なし

現町名:文京区音羽二丁目、大塚二丁目

概要:護国寺領3ヶ町の1つ。1697(元禄10)年、護国寺領100石のうちに町屋建設の指示を受けたが、家作人がなく、奥女中・青柳が拝領した。町名は奥女中の名を採り、同時に起立した西青柳町に対する。1713(正徳3)年、代官から町奉行支配となる。1723(享保8)年、幕政改革により町屋が取り払われ、寺社奉行支配となった。1730(享保15)年、再び町屋が立てられ、1745(延享2)年から町奉行支配となる(備考)。化政期(1804~1830年)の家数53軒(町方書上)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、付近の武家地を合併(『文京区史』では1871(明治4)年とある)。同年の家数23・人口113(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府小石川区に所属。同年、音羽製紙業の祖である久保田増平から紙漉きを伝授された当町の今村市蔵は1876(明治9)年に政府の桑茶政策に対し、桑の代わりに楮の植えつけの願上書を提出し、翌年の内国勧業博覧会に元結紙を出品。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市小石川区に所属。1910(明治43)年発行の少年教本掲載の「音羽今昔物語」には、旧水戸邸内で流すアクが町民に拒否され、のち音羽に移転したと記されている。1943(昭和18)年7月1日、東京都小石川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。

住居表示の実施により、1966(昭和41)年4月1日に大塚二丁目に、残余は1967(昭和42)年1月1日に音羽二丁目、編入となり消滅。

撮影場所:東青柳町

撮影地:文京区音羽二丁目9番3号(バターカレー護国寺)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。