【本郷①037】駒込富士前町
町番号:本郷①037
町名:駒込富士前町
読み方:こまごめふじまえちょう Komagome-Fujimaechō
区分:町丁
起立:1737(元文2)年
廃止:1966(昭和41)年3月31日
冠称:「駒込」
現町名:文京区本駒込二・三、五丁目
概要:伝通院領と麟祥院領がある。もとは伝通院領、麟祥院領の百姓地。ともに1737(元文2)年に町屋が許され、1745(延享2)年に町奉行支配となる。町名は東方に富士社があることによる。化政期(1804~1830年)の家数139軒(町方書上)。富士社には1626(寛永3)年、加賀藩前田氏邸内から移された文京区内の3つの人造富士の1つがあった。祭礼時には日用雑貨、植木を商う店が出て賑わった。富士講名物の麦藁蛇は邪気を追放する願いを蛇の脱皮に準えらえたもの。富士講隆盛の基礎を築いた身録行者が富士山頂で餓死したという知らせは江戸市中を騒がせたという。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年に駒込江岸寺門前(駒込江岸寺町或いは駒込江岸町)を合併。1872(明治5)年に曹洞宗見海山江岸寺、浄土宗明窓山天然寺、浄土真宗大谷派平松山教元寺等の寺地を合併。同年の戸数139・人口483(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府本郷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本郷区に所属。1891(明治24)年に下駒込村の一部を合併。1943(昭和18)年7月1日、東京都本郷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。
1966(昭和41)年4月1日、住居表示の実施により、本駒込二・三、五丁目に編入となり消滅。
撮影場所:駒込富士前町
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