【本郷①038】駒込上富士前町
町番号:本郷①038
町名:駒込上富士前町
読み方:こまごめかみふじまえちょう Komagome-Kami-Fujimaechō
区分:町丁
起立:1737(元文2)年
廃止:1966(昭和41)年3月31日
冠称:「駒込」
現町名:文京区本駒込二、五・六丁目
概要:もとは伝通院の百姓地。1737(元文2)年に町屋が許され、1745(延享2)年から町奉行支配となる。町名は駒込富士前町の北にあることによる(備考)。化政期(1804~1830年)の家数29軒(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。明治初期、大和郡山藩柳沢氏下屋敷、伊勢津藩藤堂氏下屋敷等の武家地を合併。1872(明治5)年の戸数80・人口338(府志料)。町内は将軍御成りの際の諸役人の詰所があったので、殿中が転じて「伝中」と俗称されていた。当町の大部分は五代将軍綱吉の側用人柳沢吉保の中屋敷であった。1702(元禄15)年、回遊式築山山水庭園の六義園が完成。明治期には三菱の創始者岩崎弥太郎の別邸となる。1917(大正6)年、岩崎久弥により、G・E・モリソンの蔵書の他、アジア全域からの書物や資料を収めた東洋文庫が開設。1924(大正13)年から公開された。1938(昭和13)年から一般公開され、1953(昭和28)年には国の特別名勝の指定を受けた。
1878(明治11)年11月2日、東京府本郷区に所属。1880(明治13)年、飛地を上駒込村に編入(駒込上富士前町(北豊島)参照)。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本郷区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都本郷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。
1966(昭和41)年4月1日、住居表示の実施により、本駒込二、五・六丁目に編入となり消滅。
撮影場所:駒込上富士前町
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