【本郷①041】根津宮永町

町番号:本郷①041

町名:根津宮永町

読み方:ねづみやながちょう Nezu-Miyanagachō

区分:町丁

起立:1706(宝永3)年

廃止:1965(昭和40)年3月31日

冠称:「根津」

現町名:文京区根津一・二丁目

概要:もとは「谷中道」と称された所。1706(宝永3)年、根津権現が建立されたときから「根津宮永町」と称するようになった。町屋が立てられたのは町名が付いてからである(備考)。化政期(1804~1830年)の家数104軒(町方書上)。化政期の町内は西丸奥坊主・時計之間坊主等の拝領町屋敷であった。根津権現に近いため岡場所もでき、賑わった。享保の改革時の遊女取払令に際しては、惣門外にあるため取り払われなかった。『小石川本郷根津谷中辺場末絵図 : 寛保延享之頃』には「冨永町」とあるが、誤記かと思われる。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、武蔵川越藩松平氏下屋敷等の武家地と旧町会所附上納うちを合併。同年の戸数156・人口511(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府本郷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本郷区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都本郷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。

1965(昭和40)年4月1日、住居表示の実施により、根津一・二丁目に編入となり消滅。

撮影場所:根津宮永町

撮影地:文京区根津二丁目12番15号(はん亭根津本店)

←040丸山新町 042根津八重垣町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。