【本郷①042】根津八重垣町

町番号:本郷①042

町名:根津八重垣町

読み方:ねづやえがきちょう Nezu-Yaegakichō

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:1965(昭和40)年3月31日

冠称:「根津」

現町名:文京区根津一・二丁目

概要:もとは甲府藩主徳川綱重の屋敷地。前身の根津門前町は、1706(宝永3)年、根津権現社が千駄木から引き移った後に起立された門前町。その頃から煮売り料理茶屋が置かれた。1745(延享2)年、寺社奉行から町奉行支配となる(備考)。化政期(1804~1830年)の家数289軒(町方書上)。町内には「清水横町」、「上横町」、「中坂横町」、「鳥居横町」、「惣門横町」の俗称があった(備考)。1708(宝永5)年には既に遊女屋が置かれ、享保改革の時に取り払われた。『天保中全盛外場所』によると、当町には伊勢屋、大黒屋等多数の遊女屋が記されている。天保改革の時に再び取り払われ、新吉原に移ったが、1868(慶応4)年に幕府陸軍奉行の許可を受け、遊廓が建てられ次第に賑わうようになった。

前身の根津門前町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、清水横町以外の4つの横町が、起立となった根津八重垣町に編入となり町域を狭めた。町名は根津神社祭神の素戔嗚尊の出雲八重垣の歌による(画報、案内)。西側の根津須賀町とともに根津神社付近に30軒の公娼開設を許され、桜の木を植えたり、雪洞を灯して賑わった。娼妓の数は1869(明治2)年に128人。

なお、1872(明治5)年2月、清水横町根津清水町として起立することになり、根津門前町は消滅。同年の戸数185・人口675(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府本郷区に所属。根津遊郭は1879(明治12)年には遊女屋90軒、遊女574人を数えるまでに発展し、大八幡楼や大松葉楼等は一際大きな店を構えた。ところが同年、隣の本郷本富士町に東京帝国大学が開設したことにより、風紀上好ましくないとの理由で、遊廓移転の議論が起こり、1888(明治21)年に洲崎弁天町に移転することになった(洲崎弁天町)。遊郭移転後の跡地には「藍染座」という小劇場が置かれたが、容易に復興しなかった。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本郷区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都本郷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。

1965(昭和40)年4月1日、住居表示の実施により、根津一・二丁目に編入となり消滅。

撮影場所:根津八重垣町

撮影地:文京区根津一丁目27番(千駄木二丁目交差点)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。