【下谷①018】下谷山伏町

町番号:下谷①018

町名:下谷山伏町

読み方:したややまぶしちょう Shitaya-Yamabushichō

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:1965(昭和40)年7月31日

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「下谷」

現町名:台東区北上野一・二丁目

概要:1723(享保8)年、牛込山伏町から出火し、その附近一帯が焼失。そのため本多喜十郎邸跡が収公され、1724(享保9)年に火災で焼失した牛込山伏町の代地として町屋が立った。同年には幕士・村井彌左衛門等が移り住んで、「牛込山伏町代地」とされる。幕末には黒鍬組屋敷、燈明寺門前、武家屋敷等が建ち、町はかなり開けていたという。1828(文政11)年の家数126軒(町方書上)。台東区立山伏公園脇には東京における特殊教育の父・坂本龍之輔像がある。坂本は特殊教育の推進に尽力し、万年小学校の創設には多大な功績を上げ、同校の校長に就任した人物。

前身の牛込山伏町代地として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、「下谷山伏町」と改称。1872(明治5)年に隣接する武家屋敷及び寺地を合併して町域を拡大した。1872(明治5)年の戸数258・人口954(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府下谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市下谷区に所属。1942(昭和17)年、一部を東京府東京市浅草区に割譲。1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。

1965(昭和40)年8月1日、住居表示の実施により、大部分が北上野二丁目に、一部西南隅の台東区立北上野児童遊園(もとは山伏児童遊園といったか)の地が北上野一丁目に編入となり消滅。

撮影場所:下谷山伏町

撮影地:台東区北上野二丁目4番6号(台東区立山伏公園)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。