【下谷①055】下谷中根岸町

町番号:下谷①055

町名:下谷中根岸町

読み方:したやなかねぎしまち Shitaya-Naka-Negishimachi

区分:町丁

起立:1891(明治24)年

廃止:1965(昭和40)年7月31日

冠称:1911(明治44)年まで「下谷」

現町名:台東区根岸三・四丁目

概要:この地は昔、利根川と荒川の流路の関係で、自然堤防になっていたので比較的早い時期に陸地になったと考えられている。そして奥東京湾が後退していく過程で、東南一帯が入江、沼、池という変遷を経た。根岸の地名由来は上野山の麓で、沼地の岸辺だったことから「根岸」と呼ばれたとされる。根岸の地名はその由来とこの地に早くから人の住んだ形跡があることからみて古いものと推察される。村名か金杉村の小字かははっきりしないが、江戸時代初期には金杉村に属していた。閑静で風光明媚な土地であったので、江戸の後期には多くの武士、商人、文人墨客が住んだ。

1889(明治22)年、東京府北豊島郡金杉村のうち、石神井用水以南が東京府東京市下谷区に編入され、1981(明治24)年、下谷上根岸町・下谷中根岸町・下谷下根岸町として起立。当町は「根岸中最も幽静の地なり。山茶花、寒竹の籬は今や見る能わざるも割竹の垣に衡門などの構えありて自ら優雅の趣を存せり」とある(画報)。「藤寺」の名で知られた円光寺、森田思軒の墓のある世尊寺等があり、中村不折、狩野良信等が住し、古能波奈園、鶯春亭等の料理屋があった。「御行の松(時雨松)」で知られる時雨岡不動尊は現・根岸三丁目に現存。1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。

1965(昭和40)年8月1日、住居表示の実施により、根岸三・四丁目に編入となり消滅。

※『角川日本地名大辞典』には「時雨岡不動尊は根岸4丁目に現存」とあるが間違い。

撮影場所:下谷中根岸町

撮影地:台東区根岸三丁目12番48号(千手院)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。